常夏の国、マレーシアのランカウィ島で行われたアイアンマンレースに参加してきました。 気温は常に27~31度、午後は必ずスコールのある熱帯雨林気候で直射日光を受けると体感温度は??のとっても暑いところです。 ところで日本が冬に向かって寒くなるこの時期、南国の暑さはアイアンマンレースには過酷です。 体がすっかり秋の涼しさに慣れて夏の暑さを忘れてしまっているからです。 それでも暑さ対策をいろいろ考えて練習しました。 部屋の温度を30度に上げて室内自転車漕ぎを2時間とか。(笑)
マレーシアはイスラム教徒が6割を占めます。なので女性はヒジャブと呼ばれる布を被り顏だけが出ています。 一見もじもじ君みたいなアレです。 中には全身黒ずくめで目しか出ていないアバヤと呼ばれる衣装も。 忍者みたいな・・・アレです。 いずれもこんなに暑い気候でこれを身に着けるということに驚きです。 汗をあまりかかないのですかね・・・。
ヒジャブ ホテル
言語はマレー語と英語。 現地人同士が話す言葉は「バラバラ。ウナバラ。」とかやたらバラバラが耳に残ります。(笑)ですから英語もマレー語訛りで聞き取り難いこと。
現地到着の翌朝は現地の気候に早く慣れようと早朝からジョグ開始、途中でマクドナルドに寄って朝食のハンバーガーとポテトフライをテイクアウトしました。 ついでにトイレを拝借したのですが、なぜか電灯がつかなく窓もなく中は真っ暗。 しかたなくスマホの明かりで用を足す。 マレーシアは一般的にトイレに紙がないと聞いていましたが、マクドナルドの店にもない!(*_*; 代わりに壁にホースがあってそれでケツを洗うようです。 なのでトイレの便座はびしょびしょ。かえって不潔じゃないの?(*_*; 驚きです。 あと、観光名所やデパート?のトイレは有料で入口に係員がいて15円くらい払います。
マーケット
さてお決まりのスーパーマーケットを探訪しました。 う~~~ん。 まず生鮮食品はほとんどありません。 冷凍食品、果物、お菓子、パン、飲み物でなんてことない。 とりわけ果物は豊富でしたね。 この国はイスラム教徒が多いので基本アルコールは飲みません。 しかし観光地として外国人が多く訪れるランカウィ島では例外的にマーケットにお酒が売られています。 しかも免税で安い。 ビール1缶は90円くらいです。 ビールの他にはミネラルウォーター3リットル、菓子パン、ポテチ、コーラを買いました。
大会前日はバイクをスイム会場まで約15キロ移動して所定の位置にセッティングします。 道路は少しのアップダウンはありましたがそれだけで吹き出す汗が凄い。 当日に脱水症状にならないことを祈りました。 そして昼食はどでかいハンバーガー。 写真はともに参加した小金井市トライアスロン連合の仲間、古畑さん、新井さんです。
右、古畑さん
さて大会当日です。 朝3時起きで朝食を食べスイム会場へバス移動です。 5時ですが真っ暗です。 まずバイクに補給食、飲料をセットします。 あとはスイムスタートまでの時間待ちでこの時間が最も緊張します。
いよいよ3.8キロのスイムスタートです。 マレーシアのこの大会は海水温が30度もあるためウエットは禁止です。 ウエットなしの大会は数少ないので緊張します。 最近の大会は一斉スタートではなくローリングスタートが増え、5~7人づつ続け様にスタートしていきます。 1周1,9キロの2周回。 上がってみると自分のエイジ(60~64歳)のバイク置き場にはほとんどのバイクがあります。 後で分かりましたがエイジ1位の通過でした。
写真A
さあ着替えてバイクの準備。 「落ち着いて行こう、6,7割の力で漕ごう」。 脱水、熱中症を防ぐための戦略でした。 しかし実際はそんな生易しいものではなく、スピードを落としても汗は吹き出し、みるみる体力を消耗していきます。 180キロバイクの目標6時間半を大きく下回り、7時間半もかかりました。 「その分ランで頑張ればいいさ!」。
そして最終種目ラン42キロ。 2周回半の行程。 1周回は元気です、ここで目印の小金井ジャージを持った家内の声援、元気を貰えます。(写真A)
しかし2周回目、スピードがどんどん落ちていきます。 もう日も暮れてあたりが暗くなり始めました。 速く走れない自分がじれったくて悔しい。 甘い心が少し歩かせます、「あ、ダメダメ!」 「走れ!」その繰り返しです。 とにかく苦しい。 やっとフィニッシュゲートが見えてきた。妻は? 見えない、でもどこかにいるんだろう? フィニッシュゲートへの花道では観衆とハイタッチ、そしてゴール! ゴール後は思わず椅子に腰かけ少し休んで、家内を探しに。 「あれ? いない」。 なんと家内は私の帰るのが遅くて我慢しきれずにトイレに行っていたのです。「オー、ノー!!」 大切なこの瞬間にいない!(笑) ランは5時間6分もかかりました。 バイクでは力まずランに繋げようという計画が、バイクもランも非力な結果に終わってしまいました。(泣き) 総合タイムは14時間9分。 かなり悪いです。 アイアンマンレースはレース運びが難しいですね、つくづく思います。
翌日、レース結果を見ると、私はなんとコース不通過のDQ、つまり失格です。 コースを間違え距離を少なく走っていました。 「え? 心当たりがない」。 早速理由を聞きに係へ説明を求めました。 そして自分のGPS時計のガーミンの記録を見ると、確かにランが2キロ少ない。 さらにスマホの携帯でランの軌跡を見ると不通過の箇所がありました。 ラン10キロ地点で曲がるところを真っすぐに進んでいます。 記憶がないのできっとぼうっとして走っていて判断能力が欠如していたのでしょうね。 こんなことは初めてです。 それだけアイアンマンレースは過酷なレースなんですね。 ハワイのチャンピオンシップのロールダウンセレモニーに行きましたが、仲間で最有力候補の古畑さんも今回はゲットできませんでした。 残念です。
ランカウィ島の最終日、家内とゴンドラに乗り展望台へ。 ちょうど前日のスイム会場を見渡せ、とても綺麗な景色でした。 長~~~い、弧線状のつり橋も渡りましたが、私は高所恐怖症で下が覗けません。 アソコが持ち上がっていました。(笑) 手前がスイムコース
初めての常夏の国マレーシア、美しいランカウィ島。 そして初めてのレースの失格。 初めてのマレーシア料理、美味しいものも沢山ありました。 良かったな♪ 楽しかったな♪ かなり苦しかったな。(笑)
平成29年8月28日(月) 木更津トライアスロン
トライアスロンの種目には、オリンピックディスタンスというオリンピックで行われる距離と同じ総距離51.5キロの比較的短い競技があります。スイム1.5キロ、バイク40キロ、ラン10キロで競います。 制限時間も4時間30分と短いものです。 8月27日(日)、千葉県木更津市の航空自衛隊の基地内で行われる第3回目?のトライアスロンに参加してきました。 参加人数も1800名と日本最大級の大会になったそうです。 私たちは応援と選手含め小金井市トライアスロン連合の仲間8名で参加しました。 天候は曇り、気温は最近の酷暑よりはやや過ごしやすいものの蒸し暑さがありました。 早朝の4時に小金井を車で出発して現地に5時半到着、6時から受付と説明会に出席して、競技開始は9時です。 参加人数が多いため、年齢分けでスタートしますが、年配者の私達は10時20分の最終組スタートで、待ち時間が超長いのが困りものです。 スイム、バイクと順調でしたが、ランに移る昼ころは日差しも強くなり厳しい展開でした。 結果は総合タイム2時間35分30秒で去年に続いて2年連続の年代別(60~64歳)2位でした。 1位まではなかなか到達できませんね・・・('◇')ゞ。 でも応援があるとパワーを貰えて頑張れます。 とてもありがたいですね。
平成29年6月20日(火) 孫の1歳の誕生日
次女の娘が6月で1歳を迎えました。 初孫です。
近所に住む娘の家でホームパーティーをしました。
まだ意味不明なことを喋り、会話になりませんが少しずつ物事を理解しはじめました。
儀式あり。そうです一升餅を背負わすこと。
まだやっと立ち上がる段階です。それに1.8キロちかく背負うわけですから無理に決まっています。
動画を載せました。笑えますよ♪
動画はこちらです。https://www.youtube.com/watch?v=_fVeoe2Gj7c&feature=em-upload_owner
平成29年4月18日(火) アイアンマン・南アフリカ
4月2日(日)南アフリカ共和国のポートエリザベスで行われたアイアンマンに参加してきました。 飛行機の乗り継ぎは香港、ヨハネスブルグの2回、30時間近くもかかり移動します。 友人に誘われて地の果てまで行って挑んできました。(笑) 現地の季節は秋から冬直前、朝は17度、最高気温27度で湿度も低く快適な気候でした。 ただし着いたその日は最高気温が37度を超える暑さで日によっては変動も大きく変わるようでした。 空気が澄んでいる分、日差しが強く、また夜空の星はまるで粉を吹いたように綺麗でした。 まずマイブームで外国に来て何が楽しみかというとその土地のスーパーマーケットで何が売られているかを見ることです。 見たことのない果物に野菜、肉、お菓子に至るまで興味深々です。 ケーキはホールケーキばかりで、クリームはバタークリーム仕様でなんだか美味しくなさそうです。 食品については日本の6割くらいの物価でした。
お札は動物の絵
レジの女性は座って仕事をしている、これにはびっくりしました。 ホテルでは朝食しか付いてないので昼と夕食は外食です。 料理はかつて統治していたイギリスのイメージでいたら、何を食べても美味しくて意外な驚きでした。 ポートエリザベスの街はとても綺麗でリゾート地なんです。 料理が美味しい理由はヨーロッパ各国から保養に沢山の人達が来るので洗練されてきたのでしょう。 治安も悪くはありませんでした。 労働者は黒人が多く、英語を話しますが訛りが酷くて聞き取りにくい。 また黒人同士は地元の言葉を話し、さっぱり分かりません。 ただその発音が、ミュージカル「ライオンキング」のラフィキの喋る言葉にそっくりでした。(笑)
さて、大会の話になります。 ここまで来て参加する日本人は流石にたったの9名、あとは白人が殆どですが、地元の黒人も少しいて総勢約2100名でした。 スタートセレモニーが独特で面白い。 黒人グループが太鼓のリズムに合わせて「戦いの歌」を歌い、雰囲気は最高調でした。 スタートの号砲はハワイと同じく大砲です。「バッツ~ン!」 この海はペンギンもいるケープタウンに近くて冷たく、海水温もおよそ20℃くらいでしょうか。 スイムコースはうねりと潮の流れが速く、とても泳ぎにくく、目標のブイからも度々離されました。 3.8キロのコースがGPS時計の記録では4.2キロでしたから400mも余分に泳いだ計算です。 タイムは1時間23分でした。 バイクコースは90キロ2周回の180キロですが、海岸通りで風が強く、また直射日光の強さと暑さで徐々に体力を奪われ速度は落ちていきました。 同行した妻はバイクもランもホテル近くを通過するためバイクからの応援です。 強い日差しの中、長い時間立って応援してくれました。 バイクタイムは6時間30分でした。 引き続きランに移りましたが、疲労も酷くスピードが上がりません。 この調子だと無理すれば後半に歩いてしまうのが予想され、あえて遅くキロ6分で走り出しました。 しかし半分の21キロ過ぎるころにはさらにスピードは落ち、絶対に歩かないことを心に言い聞かせ走り続けました。 1周10.5キロコースの4周回、市街地なので凄い応援です。 太鼓を叩きながら歌う少年団はリズムがいかにもアフリカ、またサッカーの応援歌を合唱している集団もいます。 チアダンスチームの踊り、ブブゼラのうるさい音など雰囲気を盛り上げています。 ゼッケンのローマ字を読み、「ユキヒロ!」と声を掛ける人もいて、様々な国の言葉で発音しています。 それはそれは楽しかった~。 白人は陽気でいいですね。 ランは5時間4分、総合タイム13時間14分53秒(制限タイム17時間)。 あまり良いタイムではありませんが、これが限界でした。 もちろんコナ出場の権利はゲットできませんでしたが、新たな挑戦の始まりです。(笑)
スタートのスイム会場と一部街が写っています
平成29年1月25日(水) Forever Athletes
友人の赤羽弘明さんが開設した 「好きなスポーツを長く続けたい人を応援する」ホームページにインタビュー記事を載せていただきました。御覧ください。
https://www.yarikiru.jp/2016/12/25/atcl-201612250020
平成28年11月15日(火) 今年最後のトライアスロン
11月13日(日)、河津桜で有名な静岡県の河津町で第1回河津トライアスロンが開催されました。 約300名の参加選手が集まり、絶好の晴天の中開催されました。 前日に受付、競技説明会があり1泊2日の行程です。 桜のシーズンには相当な賑わいのこの町も普段は人気の少ない街です。 「この地にオリンピックディスタンス(オリンピック距離51.5キロ)のトライアスロンを実施してみよう」となったのは、渋谷区の温水プール付き保養所が出来て渋谷区トライアスロン連合が合宿をするようになり、町の人達との交流がきっかけとなりました。 そうです、温泉地の閑散期に町興しとして誕生した記念すべき第1回大会なのです。 オリンピックディスタンスはスイム1.5キロ、バイク40キロ、ラン10キロの構成で、初心者からベテランの選手まで楽しめ、3時間くらいで終わるので応援者も退屈することなく楽しめます。
ところで、私は前日の朝、出かけるためにバイクを整備していた時、持病の腰痛発作を起こしてしまいました。 年に1、2回ありますが、よりによって前日にです。 どうしようかと悩みました。 競技を強引にすべきか、大事をとって参加を取り止めるか。 仲間と一緒に車で出かける約束があり、しかも私が運転手なので行かないわけにもいきません。 とりあえず行ってみよう・・・。 実は1週間後につくばマラソンも予定していました。 一晩考えました。 河津はスイム、バイクでランは10キロ、つくばはフルマラソン。 腰痛はランニングが最も悪影響です。 来週までに腰が治り、フルマラソンで良いタイムが出せるわけもない。 ならば、この河津に出場して、フルマラソンはキャンセルにしよう。
大会当日を迎えます。 晴れてはいますが予報に反して風は吹き海が荒れていました。 波が大きいためにスイムは中止となり、バイク&ランのデュアスロン(2種目)となりました。 バイクから5秒ごとにレースナンバー順にスタートします。 バイクは漕いでも不思議と腰はほとんど痛みを感じません。 40キロガンガン飛ばしました。 バイクタイム1時間14分2秒、平均時速32.3キロ。 ところがバイクを降りる時が痛い! 腰が曲がったままだ。 靴を履き替え、腰を叩きながら走り始める、いつもそうだが、足の感覚が元に戻るまで1キロ近くかかる。 しかし今回は腰の痛み、重い感覚が加わっていた。 それでも走り続けました。 苦しい、苦しい。 スピードが落ちそうになると、「だめだ、たかが10キロ、我慢しろ!」心が叫んでいる。 10キロがとても長く感じました。 ラン10キロは45分25秒、1キロ4分33秒平均。 思ったよりも早く走れました。 総合タイム1時間59分30秒、総合80位(約280名中)。 そしてあろうことか、60歳以上の部、優勝!(9名中)。 強い人いなかったんだ~、とてもラッキーでした。
今年のトライアスロンはすべて終わりました。 しばらくはランニング大会だけです。 来シーズンは4月からまたトライアスロンシーズンに入ります。 それまでは地道に3種目を練習していきます。 今、こうやって書いている時も、腰は痛い! やり過ぎですよね。(´・ω・`)
写真の一番左の女性は元トライアスロンオリンピック選手、ゲスト出場の庭田清美さんです
平成28年10月16日(日) アイアンマン・ワールドチャンピオンシップ
10月8日(土)開催のハワイ島コナでの世界選手権に出場してきました。
アイアンマン競技の世界一が決まる年に一回の大会です。 会場周辺の雰囲気は様々な関連業者が出店し、商品の売り込みに躍起になっており、この時ばかりに新製品を発表したりして熱気ムンムンでした。 中には200万円もするようなバイク(自転車)を試乗させているメーカー(サーベロ)もありました。
大会当日は午前3時の起床、4時半には準備のためにホテルを出ます。 会場に設置のバイクに空気を入れ、給水用ボトルをセットして用意万端、再びホテルに戻り暫しの休憩。6時、いよいよ出陣です。 ホテルロビーで応援参加の案野夫妻と逢い記念撮影、友人の小林夫妻とも記念撮影し、互いに健闘を讃えあいました。
エイジグループ(一般枠)スイムスタートは6時55分。 その30分前からプロ選手のスタートです。 ハワイ大会の号砲は大砲そのもので、空砲をぶっ放します。 「バツン!」衝撃波が響き渡ります。 これがハワイにしかない憧れの号砲です。 エイジグループは男性、女性の順の一斉スタートで、男性は約1500名以上が約90mに広がってスタートです。 私はバトル(ぶつかり合い)を避けるために10mくらい後方からスタートしました。 大柄の白人とバトルした2年前のケアンズでは叩かれ足を引っ張られた恐怖があるからです。 その甲斐もありスイム3.8キロは楽に上がりました。 ただ、後からスタートの女子のトップグループには後半にガンガン抜かれていました。
スイムから上がると流石にバイクは設置場にすでに半分はありません。 バイクを漕ぎだすとすぐに宿泊ホテル前で家内と娘の声援が聞こえました。 バイクコースは応援者のためなのか約30分以内に3回同じ交差点を通るように設定されている気持ち良いコースです。 ここから先は約170キロの長旅の始まり、ハイウエイを北へ海岸沿いに一往復します。 延々と直線が続く道路、ずっとアップダウンの繰り返しで応援者どころか人もいません。 女性にどんどん抜かれていきます。 そうです、この大会は世界選手権です、世界中の強豪が集まっているのです。 女性とは言え怪物級です。 女子はスイムスタートが遅い分、私はバイクでがんがん抜かれているわけです。 往路後半の60キロくらいは強い向かい風でかなり足に負担がかかりました。 山からの吹き降ろしなので右斜め前からの風です。 その分、折り返した後は強い追い風に乗り時速約40キロ~50キロでかっ飛ばしました。 しかしそれも20キロくらいまでその後はまた向かい風になりました。 この辺りで応援ツアー参加の家内と娘の声援!「ゆきひろさん!おとうさん!頑張れ~~~!」疲れを吹き飛ばす瞬間でした。 応援があると無茶苦茶元気を貰えます。 そして海からの南風は終盤の60キロでどんどん強く吹き足の疲労はピークに達しました。 同時に気がつけば強烈な日焼けで疲労は増し、止まって給水することも数回ありました。「これからラン42キロを走れるのか?」頭をよぎりました。 バイクが市街地に近づいてくると既にランに移った選手とすれ違います。 しかもラン後半区域にこんなにも多くの選手が列を成して走っている、「流石に凄い人たちの大会だ」。
さてラン42.195キロの開始です。 会場から南に往復14キロ、北へ往復28キロのコースで、走りはじめと途中14キロ地点の2回応援者と逢えます。 相変わらずパワフルな案野さん夫婦の応援、「おやぶ~~~ん!」とても嬉しい。 ランの入りはキロ5分30秒くらいでした。 しかし応援のいない18キロ地点からはスピード激減でキロ7分、とにかく歩かないことを信念に走る。 やがて日は暮れ始め残り14キロの折り返し地点は真っ暗、街灯もないのです。 ですからセンターラインの僅かに見える白線を見ながら走り、段差はないのか不安でした。 チャンピオンシップでは街灯もない道を走らせること、他の大会ではないので驚きでした。 これに出場する者、明るいうちに帰るべし、なのでしょうかね? 折り返してから、私を目標に走って追い抜きそして歩く、再び私が横並びになると走って追い抜く2人が出現、延々と10キロこれが続きました。 最後は私がダッシュして先にゴールしましたけどね。 ランも終わりになるに連れ、「ああ、大会が終わってしまう・・・」目頭が滲むこと度々ありました。 憧れていた世界選手権への出場、結果はどうであれ完走することが応援してくれた友人たちへの恩返しです。 足は豆で痛くて辛い、でも歩かない、自分への至上命令でした。 そして市街地へ突入、あと2キロ、40キロ地点のマットを踏んで、「きっと帰ってきたことを知らされている」と、次第にフットワークが軽くなります。 ゴール1.5キロ手前、案野さんが壮行会で寄せ書きして頂いた国旗を渡してくれた。 「お帰りなさ~い!」「奥さんと娘さんはゴールで待っています!」。 沿道からは沢山の声援が「コングラッチュレイション!」「グッジョブ!」。 100mくらいある花道は凄い盛り上がりです。 日の丸の旗を翳してゴール! 完走しました。 涙は出ませんでしたが、嬉しさに溢れていました。
総合タイム13時間53分29秒(制限時間17時間)は決して良いタイムではありません。 総合順位1946位(2303人中)。 60~64歳エイジ50位(70名中)。 世界の中ではこれほどしかない自分を知り、納得と同時に悔しさもありました。 この世界選手権に出場する機会はもうないかもしれません。 それほどに難関を乗り越えないと出場できません。 壮行会をして頂いた小金井市トライアスロン連合の皆さま、また友人たちの応援を背負ってのチャンピオンシップ、何があろうとも完走は絶対にすることを誓い挑んだ大会でした。 皆さま本当にありがとうございました。 とても良い冥途の土産となりました。(笑)
アイアンマン公式HPよりの動画です。 2016 Ironman World championship
https://www.youtube.com/watch?v=fcYyeCx7Vq8
私のスイム、バイク、ランのカット映像です。
http://www.youtube.com/watch?v=l6xsqViILCw
私のゴール映像です。(案野さん撮影)
https://youtu.be/rzhRfjdHBnk
平成28年6月15日(水) 2016 IRONMAN World Championship in Hawaii 出場決定!
6月12日(日)、オーストラリアのケアンズで行われたアイアンマンレースにおいて、ハワイで行われる世界選手権の出場権を手にしました。 長年に渡り夢を抱いてきたワールドチャンピオンシップです。 授与式で自分の名前が呼ばれた瞬間、思わず雄叫びを上げガッツポーズをしてしまいました。 この嬉しさは何とも表現出来ません。 アイアンマンレースに初めて出たのが48歳、それからチャレンジすること長崎で3回、北海道で3回、台湾で1回、ケアンズで2回目、ついに獲得出来たのです。 どんなにお金を積んでも叶わない、実力だけの世界です。 今回のケアンズのスロット数はメルボルン大会の中止等でその分が増えて全体で75のスロットを与えられ、さらに日本人に対してのみ30のスロットを与えられました。 日本からアイアンマンレースが無くなったため、ケアンズに託されたのです。 私は60~64歳のエイジ枠で全体の7位、日本人で3位になりました。 今回のケアンズには約400名の日本人が参加し、おそらく40名近い日本選手が授与されました。 写真のメダルは世界選手権出場決定の記念メダルです。
直径4センチほどの小さなメダルですが、込められた思いの重さは測りしれません。
応援して頂いた皆さま、ありがとうございました。
2016年 アイアンマン・ワールドチャンピオンシップは10月8日(土)、ハワイ島コナで開催されます。 家内と長女の明日香が応援に来てくれます。 今からとても楽しみです。
平成28年1月25日(月) アイアンマンへの憧れ
これはyoutubeに載っている動画です。
全世界30ヶ所以上で行われるアイアンマンレースに於いて、5歳刻みのエイジ枠で勝ち抜いたトップの一握りの人だけが出場できる、年に1回のチャンピオンシップ。 ハワイ島のコナで開催されます。 (アメリカ国籍の人だけは普通の方でも参加枠があるとはきいてます。) ですから凄いレベルの憧れの大会なのです。
見ると感動しますよ。 誰でも頑張ればいつかその夢が叶うかもかもしれない・・・ ヽ(^。^)ノ
アイアンマンへの憧れ
https://www.youtube.com/watch?v=kjCllc_Htt8
平成27年11月20日(金) 載っちゃいました♪
縁あって「ランニングスタイル」という雑誌に載りました。 ちょっと恥ずかしいです。
平成27年10月14日(水) 横浜トライアスロン
横浜トライアスロンは51.5キロのいわゆるオリンピックディスタンスのトライアスロンです。
最近はこの横浜大会の人気が高くてなかなか抽選に当たりません。 2年ぶりに当選して参加しました。
5月17日(日)晴れ、気温も上がり暑い大会でした。 都市部だけに応援も凄い賑わいで、レースコースは大したことありませんが、人の盛り上がりは最高です。 前日からの泊まりで、妻も応援に来ました。
この大会の特徴はまだあります。 それは水質の問題。 横浜港の氷川丸の横で泳ぐわけですが、勿論普段は遊泳禁止です。 泳ぐと分かりますが、ウーロン茶の色、自分の伸ばした手指が見えません。(>_<)
朝8時頃からのウェイブスタート。 つまりプロの部、年代別に分けてスタートします。 年齢の若い順にスタートしますので、私の60歳台は10時頃で気温も上がり条件は厳しくなります。
結果はスイム0:30:56、バイク1:19:34、ラン0:42:56、トータル2:33:26、総合218位、年代別6位でした。 スイム1.5キロ、バイク40キロ、ラン10キロの競技です。 なかなか2時間30分を切ることが難しい歳頃になってきました。(^^ゞ
写真は仲間の山ちゃんとその友人夫婦です。
美男美女に囲まれたおじさんが一番はしゃいで見えます。(笑)
平成27年9月9日(水) 今年度のアイアンマンレース
4月12日(日)の台湾と8月23日(日)の北海道(洞爺湖)に参加しました。
台湾では熱中症になり、悔しいことにランでリタイヤでした。 冬場に東京で練習していきなり30度の炎天下のレース出場です、身体が付いてきてくれませんでした。 原因は給水、塩分摂取の失敗です。 充分注意していたつもりが、レースに夢中になるあまり給水不足になってしまいました。 アイアンマンレースは今年度を含めて7回参加しましたが、初めてリタイヤの辛苦を舐めました。 初めて妻を同行して参加したアイアンマン大会でしたが、格好悪いとこ見せちゃいました・・・。(^^ゞ
北海道の洞爺湖、こちらは最低気温20度、最高気温25度?くらいの絶好のコディションでした。
今年からバイク、ランコースが変更され、特にバイクコースはアップダウンがかなりきつくなりました。
そのため、友人2人がランに移って5キロも走らないうちに時間切れで収容されてしまいました。
私もおそらく去年のバイクコースよりも20分近く余分に経過したと思います。
スイムは洞爺湖を泳ぐ3.8キロのコースで去年と同様でした。 タイムは1時間14分でまあまあ良いほうかと思います。 バイクはかなりきついコースで180.2キロ6時間56分もかかりました。 しかしネット観戦していた友人によれば、このバイク終了段階で年代別2位まで浮上していたそうです。 憧れのハワイのチャンピオンシップに出られる権利はその2位までです。 力が入ります・・・。
ランは流石に足にかなりの疲労を感じていました。 主催者曰く、「世界でも屈指の困難なバイクコースになりました」、誰もが同じように足にきていたと思います。 5キロも走ると足は徐々に走る力が戻ります、そういうものなんです。 しかし約15キロ地点で同じエイジ(60~64歳)の人に抜かれました。
いつものようにキロ5分30秒以上のスピードに上がらない。 この人、バイクで私に抜かれたのをウェアで覚えていたのでしょう、「お先に行きます!」と声をかけてきました。 まじに、悔しかった・・・。(>_<)
そして私もスピードをしだいに上げ始めました。 キロ5分30秒、これが精一杯です。 このまま行けば・・・。
しかし25キロ地点を過ぎるとスピードが落ち始め、また引き締めてもまた遅くなるの繰り返し、どんどんスピードが落ち、わらわらと抜かれていきます。 チャレンジはここまででした。 体力を気力が上回れないのです。 とうとう35キロ地点過ぎからは歩きも加わり、頭に「完走しなくちゃ!」が浮かんできました。
完走するということ、それはボランティアに対する感謝の思いです。
長い時間、奉仕している彼らの気持ちを知っているからです。
私は仲間と小金井アクアスロン大会を毎年運営しています。 ボランティアとして選手の頑張る姿がとっても楽しいし嬉しいことなんです。 だからボランティアは皆、「頑張って!」を叫んでいます。 その感謝に答えるためにゴールを目指します。
ラン42.195キロは4時間31分。 総合358位(1109人中)、60~64歳年代別8位(約50人中)。
でも、頑張れるだけやりました。 悔いが残らないほどチャレンジしました。 またハワイへの夢はこの次にお預けです。(^^ゞ
平成27年2月8日(日) 走ってますよ!
1月18日(日)、恒例の横田基地の「フロストバイト」に参加しました。 英語でフロストバイトとは霜焼けのこと。 そんな表題の米軍基地でのランニングの大会です。 基地内はアメリカ合衆国の地、つまり外国で、厳しく?チェックされてから入ります。 この大会は仲間と参加する年初2回目のイベントです。
写真は着替えの体育館内です。 楽しそうでしょ!
1週間後のフルマラソンの調整を兼ねて走りました。
そして25日は館山の若潮マラソンに参加。 この大会はもう15年くらい続けている。
前日から宿泊していますが、ここに集まる仲間はいつも15人ほど。
中でも二三人はこの時しか会わない、年に1回の再開とお別れ。
大会前夜なのにビール、日本酒を飲むは、大丈夫?の大会でもあります。(笑)
超楽しいですよ。
今年の結果は? 暮れからの股関節痛で十分な練習が出来ず、ダメでした。 歳ですかね・・・(^_^;)
タイムは3時間48分。 まあ、こういうこともあるさ!(#^.^#)
なので、ゴールはうかない顔。 前半までは良かったのに・・・と、言い訳。 あ~あ・・・
平成27年1月16日(金) 1年の計は元旦にあり
もう7年くらい前から参加している小金井元旦ロードレース。 仲間と参加する年初めの行事。
お陰様で大晦日がお酒の飲み過ぎにならなくて済む。(笑)
今年は初めて家族全員で参加しました。 事の発端はアメリカに住む長女に「お正月休みにランニング大会に出るかい?」 とメールしたところ、「わあ、楽しそう」と返事。 これに次女、長男が同調して、次女の旦那さんまで参加することになりました。 最後に仕方なく、仕方なく妻も参加の意向。(笑)
私と長男は10キロ、他は5キロに参加しました。
今年は初日の出拝める元旦の朝、寒かった~~~。
小金井市トライアスロン連合の仲間も大勢参加して盛り上がりました。 もう毎年の恒例行事です。
私のタイムは44分9秒。 去年よりも1分以上の後退、歳かな・・・(^_^;)
息子は44分38秒かな、たった30秒差。 つまり100mくらい後ろにいた。
たいして練習もしていないと、高をくくっていたら・・・、危ねえ、あぶねえ!ウサギとカメの話になるところだった。 年中練習している60歳と少し練習した26歳とはこれ程の差しかない訳だ・・・トホホ。
走った後は家族で小金井公園近くの温泉に行き、ほっかほか。 楽しい元旦となりました。
今年からランニング大会もトライアスロンも年代別区分が変わる。 60歳~64歳枠。
年代別入賞を得られそうなのがトライアスロンだ。
ハワイのチャンピオンシップ出場資格を得るためには年代別1位か2位まで。
今年はこれに賭ける。
4月のアイアンマン台湾、8月のアイアンマン北海道をメインに、他はオリンピックディスタンスの新島、ミドルの徳之島。 フルマラソンは東京が外れたので、館山若潮マラソンのみ。
年代が上がるとともにレースナンバーも上昇。 これが気になる。(>_<)
平成26年12月2日(火) 「走る男」
私の友人に鉄の彫刻をライフワークとしている芸術家がいます。
彼は小金井市トライアスロン連合に所属し、小金井アクアスロン大会のスタッフとして惜しみなく協力をしてくれる仲間です。 勿論、トライアスロンのオリンピックディスタンス(51.5K)の完走経験者でもあります。
現在の私の医院のデザイン、大きな絵も彼による作品なんですよ。
そんな彼が私をモデルとして作品を作りました。 題名は「走る男」。
素敵な作品です。 単なる銅像よりも100倍も価値があると思います。
我が家の後世に残す家宝になるであろうと密かに思っています。(*^。^*)
その彼の作品解説がまた面白い。
読んでみてください。
以下・・・・・
その人は僕のトライアスロンの師である。
歯科医を生業に、地域のスポーツ振興、トライアスロンの普及に尽力をし、多くの若手アスリートからも尊敬 を集める人である。
彼は、トライアスロンの師であると同時に、僕の作品の良き理解者でもある。偶然にも小学校教師をしてい た父の教え子であった事も手伝って、僕の作品を理解して貰える間柄となり、氏の病院の改装もデザインし たり絵を描いたりした。
彼は、スイム、バイク、ランの3種目を競うトライアスロンの中で、ランが一番好きだと語る。走る事に対して、半ば哲学的な世界観を有し、毎日走り続けている。僕は近くの公園の木漏れ日の中で走る彼をよく見る。
彼が何故そこまで走り続けようとするのかは分からないが、走る事に何かの目的がある訳ではなさそうだ。 また、走る事で自分に何かを課しているという訳でもなさそうだ。
走る事が自分の生きる事であるかのように、走る事そのものが自分の呼吸であるかのように、ただひたす ら走り続けるのである。
或る若者が、「辛い思いをして走るマラソンのゴールの先には何があるのでしょう?」と彼に聞いた。すると、「ゴールの先にはビールがあるだけさ。」と笑った
作者 : 眞壁 廉 (まかべ れん) 2013年4月
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平成26年6月29日(日) アイアンマン・ケアンズ (6月8日開催)
海外でのトライアスロン挑戦はこれで3回目。 2012年に台湾で70.3マイル、ハーフアイアンマンに出て以来です。 今回はロングのアイアンマンレース、スイム3.8キロ、バイク180キロ、ラン42.195キロです。
ケアンズはオーストラリア東海岸の北側、亜熱帯気候の地です。 グレートバリアリーフ、巨大なサンゴ礁で有名な観光地ですが、この地で第3回アイアンマンが開催されました。
私自身のアイアンマン挑戦はこれで4回目になります。
今年は1月の若潮フルマラソンに出て以来、他の大会には参加することなく、この大会のために練習を積んできました。 しかし、2月には股関節痛を引き起こし、2ヶ月近く調整を余儀なくされることもありました。
原因は分かりません。 走り過ぎかもしれませんが、フォアフットを意識し過ぎてのフォーム、重心の誤りから来たのか・・・? 分かりませんが、今は以前よりもフォアフットに拘らず、自然な足の着地を考えるようになり、痛みは殆ど出現しなくなりました。 結果3~5月は月間、200~300キロ走りました。
バイクは3ヶ月前から練習が本格的になり、90キロをノンストップで平均時速30キロ以上で維持できるようにする練習、また山間部への170キロ以上のロングライドを6回はやりました。 その結果5月のピーク時には月間走行距離が960キロにも達しました。
スイムは月間20~25キロで、これが一番少ない。 しかし1年間、スイム教室に通い、フォームを変えてきました。 楽に速く泳ぐための改善ですが、この教室通いは今も続いています。
いよいよレースのお話になるのですが、6月の日本は春から夏に移行する気候、ケアンズは逆で秋から冬に移行する気候です。 しかし亜熱帯気候ですから短パン、半袖でも寒くはありません。 最低16度、最高27度くらいの快適な気温です。
ところがレース当日は朝から雨、結局ランも雨、一日雨のレースでした。
スイム会場は早朝の冷たい雨、私はノースリーブのウエットなので腕が冷え、ガタガタ震える一歩手前の感じでした。 浜からのスタートです。 初めての白人圏での大会出場です。 周りを見渡すと大柄な人ばかりで、私がチビに見えます。 スタートホーンが鳴り、約1400名の一斉スタートです。 私は前列からスタートしました。 後ろから掻き分けられ、叩かれ、押しのけられ、壮絶なバトル状態で、かつてこんな激しさは経験したことがありませんでした。 白人は身体が大きい分、力がかなり強いです。 それに乱暴です。 私は半パニック状態で、息が上がり、たびたび止まってしまいました。 そう500mはまともなスイムではなかったような気がします。 スイム3.8キロ1時間18分。 遅い!(>_<)
バイクは海岸沿いのほぼフラットコースですが、途中折り返しの2周回コースで、10%の坂もある小刻みなアップダウンを走ります。 高速コースと言えますが、一日中雨のレースで最悪な条件でした。
給水については180キロと言えども手持ちの500mlボトル2本で済んでしまうほどで、身体が冷やされ、脱水にはなりませんでした。 バイク開始60キロは飛ばさず、ゆっくりとスピードを上げていきました。 中盤の90キロはガンガン飛ばしました。 そしてラスト30キロは再びスピードダウンして、給水、栄養補給、塩分補給をして1時間のコンディション調整。 これがランで良い結果を生みました。 バイクでは初めて180キロ6時間切りを果たし、5時間56分でした。
ラン42.195キロは3周回コース。 雨の中ですが、ランは汗をかきます。 しっかりと塩分補給、水分補給を行いながら走りました。 このコースが良いのは応援者が多い目抜き通りを3回通ること。 もの凄い声援に元気100倍をもらえます。 応援者は立って見ているだけではなく、オープンテラスで飲みながら観戦している人達が人一倍騒ぎます。 いいペースで走れました。 暑くないのでエイドでもほとんどノンストップ、結果は3時間50分。 アイアンマン大会での自己最高速です。 友人がライブでネット観戦をしていて、ランで240人近く抜かしたとレース後に知らせてくれました。 快挙ですヽ(^。^)ノ
トータル11時間27分22秒。 場所は違いますが、53歳に打ち立てた自己最高記録を約4分縮めました。
総合441位(約1400人中)、55~59歳の年代別19位(60人中)。
とてもレベルの高い大会でした。
去年、北海道の洞爺湖アイアンマン・ジャパンでトータル12時間10分で年代別10位でしたから、いかに白人圏の大会はレベルが高いかがわかります。 ちなみに、今大会の55~59歳の年代別には過去のアイアンマン大会で1~3位を取った方が19名もいました。 この状況で我ながらよく健闘したと思いました。
「井の中の蛙、外界に出て己を知る」(^^ゞ
平成26年3月2日(日) クラシックギターの再開
大学生の時、私はバスケット部とクラシックギター部に所属していました。 バスケットは大学2年生までで退部しましたが、クラシックギター部は卒業する6年間を楽しみました。 このクラブは合奏を主体としていました。 なので、個人技は二の次です。 それでも好きな曲を多少は独奏で弾いていました。
まあ、私にセンスはなくて下級生にどんどん技術的に抜かれていましたが・・・(^_^;)
大学6年生になると院内実習が始まり、当時は病院で患者の治療をしました。 いわゆるインターン的な存在です。 なので右手の爪は短く切り、ギターを演奏する道具を失うわけです。
それからギターは弾かなくなりました。 なにせ綺麗な音が出なくなるわけで、やる気がなくなります。
時は流れ、今から10年ほど前、地元小金井市の市報にギター同好会なるものを発見し、さっそく通いました。 基礎的な練習を一からやり直しました。 しかし1年半も経つと講師の鈴木巌先生の年齢もあり、同好会の活動は停止しました。 そして再び休止状態となります。
今年に入り、ある心境の変化で突然にギターを弾きたくなり物置から引っ張り出しました。 ケースの中で1本の弦が切れていましたが、10年間も見向きもされなかったのですから当然です。
昔の弾けていた曲にチャレンジしました。 すべて忘れて全然弾けません。 右手も左手も指が動きません。
がむしゃらにこの1か月弾きました。
右手の爪も伸ばしました。 以前なら不可能ですが、現在の歯科治療はゴム手をしますので、なんと可能なんです。 左手の指先に懐かしいタコができました。 毎日1~2時間弾いてます。
でもまだまだ戻りません。 おそらく1年間、この調子で頑張らないと元には戻らないと思います。
左手の運指は、まずは押さえる位置から忘れてます。 音符も即座に読めません。
ドレミと数えなくては音符も読めない。 これが現実でした。
この1か月でなんとか5曲。 でも音が綺麗に出ません。 左手の押さえが甘く、特に左手人差し指のセーハという押さえ方がうまくいきません。 勘が戻るにはまだ相当な時間がかかりそうです。
今、一生懸命、「アルハンブラ」を練習しています。
妻に冗談で言われます 「演奏会はいつなの?」 。
アハハ、そんなのないですよ・・・(^_^;)
おかげさまで、飲酒量は減りました。 弾いてる時間に奪われます。(笑)
子供達も自立してこの歳になり、ギターを弾けることはこの上ない楽しみとなりました。
23歳の時、部の主将をしており、その年の定期演奏会のポスターです。 モデルは私。(#^.^#)
右はその23歳の時の私。 髪の毛もふさふさ、若いですね~ (^_^;) (笑)
平成26年1月3日(金) マダム・タッソー東京
ご存じの方も多いと思います。 正月早々にお台場の蝋人形展へ行きました。
なかなか良い出来の蝋人形達。
すべては載せきれないので、一部だけ・・・
怖くてこんなこと出来ませんよね!?
ダンディーさ勝負? 負けた・・・(笑)
ブルース・ウィルスは同世代です。そしてハゲ仲間♪
お約束の壇蜜とのツーショット(ラブ)・・・(笑)
平成26年1月3日(金) 小金井元旦ロードレース
今年で35回目を迎える地元の大会。 なかなかの歴史を持っています。
昔は市中の一般道路を使用していました。 なのでロードレースの名前が残っていますが、詳しいことは忘れましたが、5, 6年前から小金井公園内を走る大会へと変化しました。
友人たちは10年以上前から参加していましたが、私は母の介護もあり参加しませんでした。
私は公園内のレースに変わってから参加し始めたのです。
元旦に10キロ走るのですが、これが結構きついのです。 理由は2つあります。
一つは、10キロは長距離にしては短い方で、初めから終わりまで「ゼイゼイ、ハーハー」でとても息苦しく、足の筋肉の疲れも半端ありません。 いわゆる速筋群まで使う走り方になります。
2つ目の理由は、これが重要! 前の晩は350m缶ビール2本程度しか飲めないこと。
本来なら記憶が無くなるほど飲んでいた大晦日。 紅白歌合戦の勝敗が分からないほどに酔っていることもありました。 良いことはお酒を飲まなくなり、妻が喜んでいること。(^_^;) 弊害は夜中の初詣に行かず早寝していること。 もう5,
6年この状態が続いています。
さて、レースの結果はと言うとあまり変わりません。 強いて言えば最近の2年間は42分台。 以前は43分から45分の間みたいな。 58歳の年齢にしてみればまあまあなのかな・・・(^.^)
レースが終わって、風呂に入り、飲むビールとお神酒の旨いことなんの。 天国のようですう~♪
やっぱ、これが健康に良いのか、悪いのか?(笑)
アスリートの暮れ、正月はこんなもんですよ。 毎日走るし、バイクも乗る。 年中無休のプールを探して泳ぎに行く。 呆れちゃうでしょ!?
昨日も一人で戸田市の荒川沿いの彩湖道満パークへ行き、 バイクを60キロ、ラン10キロ、帰りに東久留米のプールでスイム1500m。 そして今朝も20キロ走る予定。
家庭サービスはそれから・・・、お台場に蝋人形館みたいなのあるんだってね?
壇蜜さんの蝋人形もあるんだってさ! 並んで写真とっちゃおう! (おっと、ジュルル・・・)(笑)
平成25年11月24日(日) 想い出の海岸
昨日23日、もの凄~~~く久しぶりに湘南へ、妻と二人で海を見に行きました。
妻が突然、「三浦海岸を見たい」と言ったからです。
私がウインドサーフィンにハマったのは31歳の27年前。
当時、5歳の長女、3歳の次女と家内を連れて葉山の長者ケ崎でデビューしました。
末っ子の長男(現在25歳)がまだ生まれる前です。
昔、強風でおにぎりが砂だらけになったことを妻は笑って語っていました。
私は2年もすると取り回し技術も上がり、よりスピードを求めるスラロームボードへと進化していきました。
場所(ゲレンデ)も三浦海岸の津久井浜(デニーズ前)にかわりました。
今ではそのデニーズはなく、回転ずし屋になっていました。
妻は、砂浜に出るなり「昔の子供たちの声が聞こえるようだ・・・」とつぶやいていました。
目を潤ませながら・・・。
今では長女も31歳になって、3人の子供達は独立して我が家にはいません。
今日、そこでは「ピザーラ・カップ」なるコンペが行われるらしく、たくさんのウインドサーファーがいました。
なんでもオリンピック熱も加わり、第13回大会だとか・・・知らなんだ。(*_*)
ふと見ると、私と歳が近そうな方がおり、声を掛けました。
「私も20年前はここでウインドをしていましたが、あなたは何年まえからされているのですか?」
「もう30年ですね。」
「では当時、お互いに顔を合わせていたかもしれませんね。」
「道具が随分と変わりましたね。」
などなど・・・この方、世田谷から来ていました。
昼食はマグロで有名な三崎港にある「くろば亭」へ。
中トロの漬け丼、マグロのカルビ焼き、生しらす、味噌汁。 車なのでビールはなし。 ヘヘヘ(^_^;)
ほんとうに旨かった~♪
次に行ったのは話題に出ました懐かしい葉山の「長者ヶ崎」へ
駐車場の売店の位置こそ変わりましたが、浜は昔とまったく変わりません。
昔ながらの寂れた感じ。
葉山の御用邸のある方まで浜づたいに歩きました。
公衆電話ボックスみたいなポリボックスがあり、二人のお巡りさんが暇そうにおしゃべりしています。
のどか~な風景。
雲がなく遠くに富士山がくっきりと見えていました。
私がウインドサーフィンを止めたのは40歳頃。
この後、趣味はランニング、トライアスロンへと移行して行ったのです。
昨日は懐かしくもまた楽しい時間でした♪
平成25年11月21日(木) 宇崎竜童
つい最近、妻とライブに行ってきました。 宇崎竜童さんのライブはこれで2回目です。
今回はテレビで「宇崎竜童のデビュ-40周年記念」として放映されるらしく、懐かしい曲盛りだくさんでした。
1970年代にダウンタウン・ブギウギ・バンドとして一世風靡するわけですが、それから彼が作る曲は数々のヒットを飛ばしました。
私がダウンタウンを知ったのは、やはり「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」からですね。
当時、これが歌かよ?と思いました。(笑)
タバコの宣伝に使われた「スモーキング・ブギ」。
もっとも爽やかでセンセーショナルなのは「サクセス」。
バラードもいいですね。「知らず知らずのうちに」・・・涙がでます。
山口百恵の曲も随分と書きましたね。 ことごとく大ヒットしました。
この日、「ロックンロールウィドウ」、「さよならの向こう側」など5曲は歌いましたね。
そして意外な懐かしい曲を歌いました。 内藤やすこの「想い出ぼろぼろ」、彼が作曲したとは・・・。
今は関西で活動することが多く、今回はわざわざ大阪から御堂筋バンドもつれてきていました。
この人達、ブルースバンドなんでブルースばかり。 思わず眠くなります。(笑)
お客さんの年齢層はSoooooooooooo~~~年配ばかり。
これだけ若い人がいないコンサートには時の流れを感じます。
もちろん、総立ちなんてありえません。(笑)
でも、自分の生きた青春に流れていた曲の数々。
とてもいいライブでした。♪
平成25年10月31日(木) 「アスリートの魂」
NHKの水曜日の深夜に「アスリートの魂」という、トップアスリートを取材した番組があります。
最近放送されたものに「限界は考えない トライアスロン 古畑俊男」があります。
以下は番組紹介に記されたものです。
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古畑俊男選手(51歳)は“義足の鉄人”として知られる。
21歳の時、動脈血行障害のため右足ひざ下を切断、自分の限界に挑みたいと、スイム4km・バイク180km・ラン42.195kmの最も過酷なアイアンマンレースにあえて一般ランナーとして出場し続けてきた。最高峰ハワイ大会の国内予選では、健常者を相手に年代別で2002年3位、2004年は4位。そして今年の宮古島大会も出場1470人中35位に入った。
東京都職員として働きながら練習に励む古畑選手が、競技人生の集大成として目指すのは2016年のリオ・パラリンピック。
この大会から正式種目となるパラトライアスロンは、スイム0.75km・バイク20km・ラン5kmの短期決戦。瞬発力が必要になるため、限界まで心肺機能を高めるなど、年齢的に負担の大きい過酷な挑戦を続けている。
リオ挑戦への第一歩、今年9月のロンドンでの世界選手権での闘いを通して義足のアスリート、古畑選手の魂を見つめる。
今年の桜は寒い日が長く続き、遅咲きで入学式に丁度満開。
春は年度の切り替わりで心もうきうきと弾んできますね。
ところで、6年前に日本で初めての大都市型市民マラソンである東京マラソンが開催され、去年は大阪マラソン、今年は京都マラソンが誕生しました。
どの大会に参加しようにも高倍率の抽選で、空前のマラソンブームです。
毎夜、皇居の周りはランナーでいっぱい。皆、皇居の周りを走り、仲間と一杯飲んで帰るパターンが定着しているようです。
付近には着替え用の施設が作られ、銭湯は連日大賑わいです。
考えてみてください。ランニングシューズがあれば済む、健康的でなんとも安上がりなスポーツです。
東京マラソンによる経済効果は莫大なものです。石原慎太郎さんの画策はみごとでした。
今、一度頓挫した東京オリンピック招致が再燃しています。
昭和30年代の東京オリンピック開催に猛進した高度経済成長時代とは違いますが、震災からの復興、景気回復、国民の意識に何かの変化をもたらす起爆剤になることを期待したいですね。
慎太郎さん、「東京オリンピック誘致」これがあなたの最後の仕事だ! そう思いませんか。
平成24年1月18日(水) 今年もがんばるぜ!
新年、明けちゃいましたね。 まじに過ぎる時間は早いです。
今年も新年早々、小金井公園の元旦マラソンを元気に走ってきました。
ことしで3年目かな。 おかげ様で大晦日は350ml缶ビール2本だけ。 節制のために超健康的な大晦日。(~_~;)
今年の元旦マラソンの結果は嬉しかったです。
確か10キロ42分05秒かな。 私の最高記録に匹敵する?。
最近の低レベルな私にはこの年齢にしてはまずまずの成績でした。
もう、寄る年の波には逆らえず、コンペティションの記録はすべて下がっていきます。(-_-;)
15日、米軍の横田基地での「フロストバイトハーフマラソン」に出てきました。
この大会の参加者が急増しました。 完走者数ですが、去年3640人、今年5262人。
まじ、マラソンブームなんですね。
記録証は自分で印刷しろ!なんて、時代は変わりましたね。
パソコン使えない方は記録証なし!ということです。
私は50歳代1164名中、105位。
既に1時間30分を切れない自分には諦めと共に決別しました。
後は年代別順位のサバイバルゲームです。
体を壊さず、生き残ったものでの順位争い。
もし私がハワイのアイアンマン・チャンピオンシップに行けるとすれば、それは70歳以上かもしれません。
それほど強い選手は沢山います。(~_~;)
夢は遥かに遠くに・・・(^_-)-☆